もしも

ほんとにもしも

君も僕のこと思ってくれてたら

 

 

あんまり書きすぎると著作権料を取られるのでこれくらいにしておこうか

 

 

 

 それでさ

何かを始めようとする時ってさ、もうだいたい同じ歳で自分なんかよりよっぽど出来る人が星の数ほど、いや星の数ほどはいないんだけど、なんかそれくらいいてさ、

それでやる気削がれちゃうみたいなことってあるじゃないですか。

 

うーん同意を求める喋り方のやつぶん殴りてぇくらい嫌いなんだよな

 

読んでる人がどうかは知らないけど、興味もないし、こんな時間までインターネットしてないでホットミルクでも飲んで寝たらいいじゃんか。まったくもうしょうがないやつだ

 

 でもさ、まあそれを考えないようになんとか誤魔化して生きてるわけよ、毎日。毎日。

親に、私も天才卓球少女、みたいに、2歳くらいから何か叩き込んでくれればよかったのに、とか無理なことを時々は言ったりしてさ、

ほんとは好きに生きるしかなかったし、叩き込まれるのなんて大嫌いなくせにさ、人間だからそういうことを言ったりもするんだわ

そんなのも悪くはないと思ってるから凡庸なんだ。ダメです。一番じゃなくても一番だと思ってくれよ。

 

 

 

 

量的な部分からはみ出るところが哲学の扱う範囲だとか言ってさ、なんかカッコつけたけどやっぱりあれは嘘で哲学なんて色々削り取られた残りカスみたいな無惨な何かかもしれないなとか思ってそんでどうしようもなくそういうの好きだなぁとかって気付く。物差しの中にいるのが嫌いみたいな寒い斜に構えた姿勢が幼稚園の時から変わらないのもういっそ首尾一貫してるって誰か褒めてくれないのかな。

 

 

 

 

 

 

 

小六のとき好きだった男の子と塾帰りに寄ったイオンのしょぼいゲーセンのUFOキャッチャーでその子がとってくれたキャラクターもののパスケースがまだ置いてある机でもう多くの人がとっくに出来るようになってるであろう馬鹿みたいな英文法を勉強している馬鹿みたいな自分、頑張って欲しいと思う

 

結局高校生になってからその子と少しだけ付き合って全然上手くいかなくてびっくりして傷付いたのになんでこんなもの置いてあるのか皆目見当もつかない、こわい

 

 

 

 

もうカナダに行ってしまった天才の置いて行った砂が緑色の砂時計本当に実用性がないんだけど、多分こんな文句言ったら実用性がどうした、って返されるでしょ、そう言って欲しい
drift apartの経験について話してと言われて真っ先に思い浮かんで話したけどnot fightといわれてしまった。引っ越しとかそういう物理的な話らしい。精神じゃないのか。量的だ。喧嘩したのかぁ。実感がないなぁどうしていなくなってしまったのかわからないっていうのは嘘で今なら本当にわかる

あなたのことはそれほど

あなたのことはそれほど、って、結構いいタイトルじゃない でも内容知らないんだ

 

気胸になったので、空気はもうあまり胸に入らない、恋をするよりも肺気胸の方が苦しいような子になるなど

 

今日聞いた、極限まで無駄を省いても、とんでもなく損してしまっている人の話で、極限まで無駄を省いても損してしまっている人っていうのはどうしたらいいんだろうって考えたけどどうしようもなくて、でもどうしようもないことって本当にどうしたらいいんだろうな?どうしようもなかったと言っても許してもらえないと思う。どうしようもなかったかなんて相手には到底わからないから悲しい。どうしようもなかったと思っても割り切れないだろうことは手に取るように理解できるもの。ごめんなさい。こんなにつらいことってある?携帯のプランならどうすればいいかすぐわかるのにな。そして私もどうしようもなさをわかってあげられなかった 許してほしい 何されたかよくわからないままそっと心の中で許してほしい ほんとにあとはもうそれだけ

 

そんなに好きじゃない人と付き合ったせいで他の人のことが気になるなんてことが現実にあるのか特に聞いたことはないんだけれども

 

あなたのことはそれほど好きじゃない、って言えないくらいには多分私のことが好きだったんだろうからがっかりさせたかもしれない。あなたのことはそれを気にするくらいには好きだけど、どれほどかは全然わからない。どう足掻いてもうまくいきそうにないとわかったら少しも足掻きたくない。面倒だから。100パーセントがたくさん欲しい。たくさんの80パーセントはいらない。それなら少しの100パーセントの方が良い。何が良いのかは自分で考えろよ。全員鉄の塊になってしまえよ。

 

みもふたもないはなしですがある地位の人に向けられる優しさが好きなの だめですね どうしてこんな風になったのか全然思い出せない たすけて うそです

 

幸せになろうとしないで不幸にならないように努力するから幸せになれないと言われたの本当にその通りだし、非合理的だと思ったことでもやってみないと非合理的かどうかわからないの超非合理的でウケる。

 

 

 

 

 

仕方ないことを仕方なく無くしたい

 

仕方ないと思っていたことがどうにかなった時、少なくとも私は本当に嬉しかったから。人の精神を直接助けるのは私には無理。そんなの誰にでも無理だっていう人もいるかもしれないけどそれは違うと思う。でも私には無理。激情的な人間だから。激情的じゃない人間が好きなのに。激情的じゃない人間って人間なのか?まあ人間か。むしろ怒ってる時の自分の方が人間ぽくないかもしれないな。理性っぽいものがめっちゃ働くけどパチモンだからあんまり理性的な結果にならないみたいなあれ。誰かを救う制度を作ることを志す人は誰でも、公に怠けてる人、ずるい人のことを攻撃するべきではない。

 

生きているだけでありがたいのもわかるし再発しないように禁煙しないといけないのもわかるしわかるけどわかるよ、だけどさぁ〜

 

こういうこと言っていいのって何歳までなんだろ。

反転

昨年の三月の終わりまで津田沼で家庭教師をやっていた。

生徒は男子校に通う、あまり真面目ではないが明るい子であった。

津田沼の駅構内には、麺が何やらふやけている、讃岐うどんを名乗るには早すぎるうどんを出す店があった。しかしそこの店は汁と豚肉がべらぼうに旨く、俺は指導前に此処で肉うどん、並、ねぎ抜きを食うのが一種のルーティンとなっていた。

三月の最終週はその生徒の指導終了の日だった。そいつとその親は俺にたくさんの感謝の言葉を述べ、図書券をくれた。俺は漱石でも買ってやろうと思った。

さて、これでもう津田沼に来る用事は一切合切なくなってしまった。俺の家は桜台だ。

そこで最後にもう一度あのうどんを食べようと思った。俺は指導後に会う予定だった彼女を津田沼まで呼び出した。

「なんで津田沼?」

という彼女に俺は美味いうどん屋があるのだと伝えた。何だそんなことで、という顔をしているのは分かりきっていたから、真っ直ぐうどん屋へ向かった。

「肉うどん、並、ねぎ抜き」

これを言うのもきっと最後だ、と思った。

うどんを取って、隣に座った彼女に、ここは汁がべらぼうに旨いんだ、と伝えるや否や、彼女は麺を啜り始めた。何も聞いちゃいねぇ。

なんて女だ。俺は愕然とした。ぶっ殺してやろうか。そんな気持ちにすらなった。断っておくと、別に彼女のことが嫌いなわけではなかったが。

そんな心中とはなんの関係もなく、うどんの汁はやはり旨く、麺はふやけていた。



そして今日俺は新しいバイトの面接でたまたま津田沼に降り立った。帰りにうどん屋が目に入り、そういえば家庭教師の仕事を終えて以来食べていないな、と思いながら店に入った。

肉うどん、並、ねぎ抜き、変わらぬ550円。

そうか、家庭教師が終わってもうどんは食べられるのだ、うどんは550円があればいつでも食べられるのだ、生徒がもう他人になっても、あの時の彼女とくだらない理由で別れてしまっても、俺かその気になってここに来れば、うどんは食べられる。

だいたい何でもそうなんじゃないか。