反転

昨年の三月の終わりまで津田沼で家庭教師をやっていた。

生徒は男子校に通う、あまり真面目ではないが明るい子であった。

津田沼の駅構内には、麺が何やらふやけている、讃岐うどんを名乗るには早すぎるうどんを出す店があった。しかしそこの店は汁と豚肉がべらぼうに旨く、俺は指導前に此処で肉うどん、並、ねぎ抜きを食うのが一種のルーティンとなっていた。

三月の最終週はその生徒の指導終了の日だった。そいつとその親は俺にたくさんの感謝の言葉を述べ、図書券をくれた。俺は漱石でも買ってやろうと思った。

さて、これでもう津田沼に来る用事は一切合切なくなってしまった。俺の家は桜台だ。

そこで最後にもう一度あのうどんを食べようと思った。俺は指導後に会う予定だった彼女を津田沼まで呼び出した。

「なんで津田沼?」

という彼女に俺は美味いうどん屋があるのだと伝えた。何だそんなことで、という顔をしているのは分かりきっていたから、真っ直ぐうどん屋へ向かった。

「肉うどん、並、ねぎ抜き」

これを言うのもきっと最後だ、と思った。

うどんを取って、隣に座った彼女に、ここは汁がべらぼうに旨いんだ、と伝えるや否や、彼女は麺を啜り始めた。何も聞いちゃいねぇ。

なんて女だ。俺は愕然とした。ぶっ殺してやろうか。そんな気持ちにすらなった。断っておくと、別に彼女のことが嫌いなわけではなかったが。

そんな心中とはなんの関係もなく、うどんの汁はやはり旨く、麺はふやけていた。



そして今日俺は新しいバイトの面接でたまたま津田沼に降り立った。帰りにうどん屋が目に入り、そういえば家庭教師の仕事を終えて以来食べていないな、と思いながら店に入った。

肉うどん、並、ねぎ抜き、変わらぬ550円。

そうか、家庭教師が終わってもうどんは食べられるのだ、うどんは550円があればいつでも食べられるのだ、生徒がもう他人になっても、あの時の彼女とくだらない理由で別れてしまっても、俺かその気になってここに来れば、うどんは食べられる。

だいたい何でもそうなんじゃないか。